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「日本人は、在日コリアンに対して、日本人か、外国人かどっちだと思っているのだろう?」と話で盛り上がった。
(ちなみに、皆さんは、どっちだと思っています?)
※在日コリアン=終戦時に日本に残った朝鮮人とその子孫(2~4世)で、現在も韓国籍か朝鮮籍を持っている人。現在その人口は約65万人。日本に帰化した人とその子孫すべてを含めると200万人以上といわれる。
その時に、在日三世の女の子が「親しい人とお酒を飲む場ぐらいでしか、話さないのだけど ね~」といいながら、しらふで話してくれたことがある。
「誰かに『日本人と同じだね』とか、『在日は韓国人みたいだ』とか、言われる ことが嫌な気持ちになるんだ。」「私は日本人でも、韓国人でもなく、『在日』なんだろうね。」
韓国人を母親に持つ彼女(日本国籍)は、かつて自分を在日ということに自信を持てなかった。高校入学後、在日の歴史を学び、多くの在日の友人と出会って、はじめて「在日」になった。今も自分らしい生き方、他者の痛みに共感できる生き方を模索し続けている。
別の在日4世の参加者(韓国籍・女性)はこう話した。
「自分は何者か?と悩んだ時期もあったけど、今はめんどくさいというか、どうで もいいかな、と思っている」「韓国人にしろ、日本人にしろ、人間のルーツをたどっていったらきっと一緒だから。私は私だから」
韓国の文化をよく知らないし、韓国語も話せない。でもバイト先でお客さんに「韓国人だったら、韓国語を話してみてよ」と言われて、困惑することもしばしばだという。
今の日本社会では、「日本人(主人)」か「外国人(お客さん)」かの二者択一で、「市民(主人)としての外国籍保持者」というカテゴリーが、まだ定着していないのだろう。
彼女は、現在、米国に留学準備中。異文化をごく自然に尊重しあう米国社会で学び、移民政策の分野で在日外国人の力になるのが夢である。
在日コリアンは、日本という異文化の中で暮らし、自己の存在を大切にしながら他者と共に生きる=「共生」という経験を少なからず重ねてきた。そして、3世・4世となるにつれ、揺れ動くアイデンティティの中で、「違いを超えて仲間として生きること」「自分の個性や価値を発揮できること」を願う気持ちがますます大きくなってきている。
グローバル化、少子高齢化が急速に進み、外国人・他者との共生への転換が不可避な現代日本において、彼ら在日コリアンの言葉に耳を傾けることから始めてみても良いのではないだろうか。